2011年8月18日木曜日

SRS? GRS?


SRS/GRS; Gender/Sexuality, etc.

何気なく使っているこのような用語に深い意味があることに、あらためて考えさせられる機会がふえて頭を悩ませていました。私はGID当事者ではないので、このような問題を客観視できる立場から私見を述べてみたいと思った次第です。

セックスか、ジェンダーか
一般に通用している「性別適合手術」という言葉は”Sex Reassignment Surgery”の訳語ですが、これを”Gender Reassignment Surgery”と呼ぶ人もいます。タイのプリチャー医師もその一人で、以前からGRSという用語を好んで使っています。SRSが一般的な今ではGRSは古い用語なのだろう、くらいにしか思って深くは追求しなかったのですが、最近ちょっと待てよと思い始めています。GRSにはそれなりの深い意味合いがあるのではないかと・・・・。

つまり“Sex”と“Gender”の違いと、その相互関連性です。俗っぽい言い方をすれば、セックスというのは両脚の間にあるもの、ジェンダーというのは両耳の間にあるものという単純明瞭な区別ですが、それはあくまでこの摩訶不思議な存在の宿る場所を特定したものにすぎません。

両耳の間というのは、もちろんあらゆる精神活動をコントロールする脳の司令塔のある場所のことで、とくに人間の性行動・性衝動に方向性を与える前頭葉のある場所のことです。愛情、幸福感、また違和感や不協和音もここで感受します。両脚の間にある性器官もこの脳内の司令塔に情報を提供し、またそこから指令を受ける関係にあります。ただ、きわめて生物学的な存在である性器官は出先機関にすぎず、そこで味わう興奮や快感はすべて脳内司令室の受容により判断され幸福感や満足感として伝達されてくるのです。

おいしい、まずい、甘い、辛いなどの味覚も舌の味蕾で味わうとはいうものの、実際は脳神経を伝わって脳内の器官が感知して味わうのと同じです。舌の味蕾と脳神経は切っても切れない関係にあり、セックスも味覚も脳に対しては同じような従属関係だと言えます。ただ、出先機関の働きなしには、司令塔もなすすべがないという関係にあるようです。

GID(性同一性障害)というのはジェンダーとセックスの間の不協和音が原因となる悩みですが、ジェンダーは脳神経に関わるもので現状の医学では手術であれ薬物手法であれ、これを治療することは不可能です。一方セックスに関する肉体器官は外科的処置で、完璧とはいえないまでも作り変えることは可能です。性器官を外科手術によって、男性から女性へ、女性から男性へと転換して性別を再指定するのだから、性別適合手術(=性別再指定手術)はSRSでよいわけです。この手術という手順をふむことでジェンダーとセックスとの違和感が解消して、脳内の司令塔が発する本来の性意識に基づく人生が送れるようになる、というのがSRSという外科的処置の果たしている役割だと思います。

セクシュアリティとは?
ところが、性転換手術のアジアの草分け的存在であるプリチャー医師がなぜGRSを好んで使うのか、思い当たるケースに出会う機会が何度かありました。それは、SRSを受ける当事者にも自分のセクシュアリティ(性的指向)が異性なのか同性なのか明確でないひともかなり存在することです。

「男性から女性」のMTFを例にすれば、SRSを経て生物学的には女性になったものの自分の性的指向が異性である男性なのか、手術の結果いまや同性となった女性に向けられているのか、明確な自覚がないという場合があることです。

生物学的には男性として生まれ育った人が自分の性別に違和感を覚え、SRSを経て念願の女性になれたわけですから、今や異性である男性に性的興味をもつのが普通ではないか、と思うのが“普通”です。ところが、例外というよりは簡単に型にはめてはいけない面があるのです。

一般人の中にも「エイ・セクシュアル」という性愛にはとくに興味をもたない人もいるのです。古い調査ですが、アメリカのキンゼー・レポートでも未婚の女性では14-19%、未婚の男性では3-4%が、対象が異性であれ同性であれ性的接触に一切の興味をもたないと指摘されています。“草食系男子”が増えつつある現代の日本でも言えることですが、GID当事者にも同じような傾向をもつひとがいても驚くにはあたらないかもしれません。

念願の女性の身体になったのに、性的興味の対象は意外にも“同性”の女性だった、つまり同性愛指向だったという人もいるのです。心を許し、肉体的な愛情表現の対象として持続的な関係をもてるのは、意外にも同性だったと気付くポストTSの例は少なくないかもしれません。つまりゲイやレズビアンの関係がトランスセクシュアル当事者にも同じように存在するというのも事実です。レズビアンから派生した“トランスビアン”という言葉もあるそうですから。

ジェンダーとセクシュアリティの相性
ここで興味深いのは、SRS後にどういう性的指向に向かうかは実際に性体験をしてみないと分からない場合があることです。多くのGID当事者は肉体上の性別の違和感から逃れるために必死の思いでSRSまで進むのが精いっぱいで、実際の性体験を経ていない当事者が少なくないのではないかと思われます。

ジェンダーとセクシュアリティの実際の相性テストを経ないままSRSを受け、事後に経験する性体験からはじめて自分のセクシュアリティが確認できたケースが想定されます。この中には、異性愛もいるでしょうし、同性愛もいるし、両性愛も、また性愛などなくても生きていける人もいる、というのが現実の姿ではないかと思います。

つまり、SRS後にはじめてジェンダーとセクシュアリティの落ち着き場所(相性)がわかる、という見方に私は傾いています。この両者の相性が合致すれば、精神と身体の安らぎが得られるのではないか。それがSRSという外科的処置の目指すところであり、それが達成されれば究極の目的である精神(ジェンダー)の安堵が得られる。

「セクシュアリティ」という肉体的性指向はあくまで「ジェンダー」という性意識の従的な存在なので、「意識上の性別をいったん白紙に戻し再指定する手術」という意味に解釈できる「GRS=Gender Reassignment Surgery」と呼んでもいっこうに差し支えなく、この方が読みが深い術名ではないかと思えるようになった、という反省があります。

プリチャー先生は手術後一ヵ月半経てばもう性交渉をしてかまわないというのが口癖です。ちょっと早すぎるのではと言うと、そんなことはない、一ヵ月半で大丈夫だとゆずらない。医者というのは多くを語らない人が多いので、その真意を類推しての話ですが、SRS後に出来るだけ早い時期に親密な性的関係を体験することで、ジェンダーとセクシュアリティの相性を見極めて落ち着く場所がきまり、GID当事者がすみやかに安堵できるパートナーとともに生活の基盤を築いていけるようにと願っている、という先生の温情であるといささか拡大気味(!)に解釈してみた次第ですが・・・・。

眠れない真夏の夜の夢想だったかもしれませんので、このことは次回先生にお会いしたときに確認できればと思っています。

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2011年8月1日月曜日

トランスジェンダーの権利を求めて


トランスジェンダーにも権利がある (マレーシアからの報告2)

性転換手術のあと女性への姓名変更を訴えていたアシュラフ・ハフィズさん(26歳)が、州高等裁判所の否決の判決後わずか10日後に死亡した今になってはタイミングが狂いましたが、7月24日付のSTAR紙の読者投稿欄に次のような投稿がありましたので、遅ればせながらご紹介しておきます。(7月31日付投稿参照)

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アリーシャ・ファルハナさん(男性名アシュラフ・ハフィズ)と家族の方々に哀悼の意を表します。彼女やその両親には何の罪もないにもかかわらず、彼女は生まれながらの重荷を背負う人生になったわけです。

彼女や家族がもろもろの差別、いやがらせ、残酷とも言える扱いにさらされる立場の追いやられるのは、理由はどうあれ自然もたまにはへまをすることがあり、いろいろな障害を負った人が生まれてくるということを社会がまだ理解していないからです。肉体の性とは別の性意識をもって生まれるのもその一例にすぎません。

マレーシアも世界の先進国の例に倣い、このような人々をあらゆる社会生活の場面において真摯に受け入れる態勢を整えるべきです。

目や耳の不自由な人たちやその他の身体障害者と同じように、トランスジェンダーにも基本的人権があり、愛され、また愛する権利があって当然です。

自らの権利だけでなく同じような境遇におかれているトランスジェンダーたちの権利を求めて、闘う決意を示したアリーシャ・ファルハナさんの勇気ある行動に応援の拍手を送りたいと思います。

Dr.Peter J.Pereira (助教授、シャーアラム市)

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